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2002年2月

新しいものと古いものの間に

Windows XPのコラムをやっと書くのである.1月中旬にはプレインストールマシーン(hp e-pc42)を手に入れていたにも関わらず何故これまで書かなかったのか,答えは簡単である.「仕事がクソ忙しくマシンを触るヒマがあるはずも無く,なのに他のコラムだけはしっかり書いてきた」という至極個人ベースで運営しているサイトによくありがちな,あたかも「デフレスパイラル」のような螺旋を描いて急降下していくような悪循環に陥っていたからである.大体新しいマシンを触るのは良いけれどほとんどメインで使用しているWindows2000のマシンで事足りるのだから仕方が無い.早い話,WindowsXPにさほどの良い点があるわけでもなく,悪いところがあるわけではない,目新しいのは新しく導入されたユーザーインターフェースである「Luna」ぐらいのもんかなぁ.なんて思ったからコラムが書くにも書けなかったのである.

さて,新しいインターフェースである「Luna」である.はっきり書いてしまうと「見かけ倒し」である.GUIを洗練しようとした努力は認める.ただそれ故にやたらめったらメモリを食ってしまうため,これまでウチんとこにあったマシンではとてもじゃないけれど対応しきれない.そう思ったから新しいマシンを買うに至った訳であるが.とはいうものの,別に軽くしたけりゃ「Luna」を使わないで「クラシックな」インターフェースに変更すりゃいいのである.こうなってしまうとほとんど「Windows 2000」を使用しているのと一体何が違うんだい.なんてことになってしまうのである.まぁ,私の使っているのはWindowsXP Professionalであるからして,ドメインへの参加も可能だがこの小さいお部屋のLANの中で必要かと言われてしまえばそれまでであるし,ネットワーク越しにデスクトップを表示し遠隔操作できる,というのは便利なものではあるがVNCを使えば様々なプラットフォーム上で実現できることであるからしてさほどの利点を感じないのである.

というわけで「Luna」に話を戻そう.MacOS Xの場合の「Aqua」と比較されがちであるがどっちが先に開発したという訳でもないし,類似性には目を瞑ろう.しかしながら半透明化したアイコンを見たところで特に新鮮味があるわけではない.むしろウィンドウがアクティブになっているかどうかが以前に比べて分かりにくくなっているのが問題のように思う.ちなみにWindows95,98,98SE,Me,NT4.0,2000まではデフォルトでアクティブウィンドウのバーの色は青,非アクティブの場合灰色となっており分かりやすかった(反論はあるかもしれないがこの部分に関してはMac OSよりも分かりやすいと思う)のに対し,Windows XPではデフォルトだとアクティブが青,非アクティブは薄い青と区別しにくい.のであるが,これに関しても言ってしまうと「クラシックなデスクトップ」にしてしまえば解決できてしまうのである.ここまで書いてきてしまうと思ってしまうのであるが,なぜ「クラシックな」インターフェースのままいけば良かったのに,なぜ「Luna」を際採用したのか謎である.もっともこれはMacOS Xにも言えることであり,例えOSのベースとなる技術が新しくなったからと言って,これまでのFinderを捨ててまで無理やり「Aqua」を採用する必要は無かったはずであり,このあたりはWindowsXPもMacOS Xも同じ過ちを犯しているという気がしなくは無い.大体これまでのWindowsやMacOSを使用してきた人にとってユーザーインターフェースの変更がもたらすものは「混乱」であり,下手すると「間違いを犯してしまう」だけなのである.まぁ,WindowsXPは例の「クラシック」な設定ができるから被害は最小限に食い止められるわけであるが….

ここまで読んだ方にはお分かりであろう.MacOS Xと同様にWindows XPに対しても良い印象は抱かないのである.まぁ,このような変革期のOS(WindowsはNTベースにMacOSはUNIXベースに)にあたっては若干の混乱は避けられないもの,と言われてしまえばそれまでなのであるが,なんとか代替措置は設けることが出来なかったのか?

特に福祉関連の商品の開発速度と一般ソフト,OSの開発速度は全く違うのである.MSXが現役でがんばっていたり,アメリカではAppleIIシリーズが教育現場で未だに使用されていることからも明らかなことなのである.なぜ,そのようなことを考慮に入れた開発ができないのかわたしには良く分からない.マイクロソフトに言わせるときっと「XPには9x互換モードがあるからそれを使えば良いじゃないか」というに違いないし,MacOS Xに関しても「クラシック環境使えば良いじゃん」ってところなのであろうが,はっきり言おう.福祉関係の,特に入力支援機器なんてのは非常にシビアなもんであって,9x互換モードであろうが,クラシック環境であろうが使用したところで正常に動作はしないものがほとんどある.特に入力支援機器のインターフェースは古いものが使われてしまっている(PS/2とかADB)が使われていることが多いため動作しないケースがほとんどなのである!特にMacOS Xが悲惨で,ADBが無くなってなんとかADB機器を使用したいという方のために作られたiMate(USB→ADB変換ケーブル)でしのいでいたが,iMateがMacOS Xに対応できずアウトとなってしまっているのが現状である.まぁこれから「ゆっくりと」USBの入力支援機器は序々にできているからこれができれば少しは改善されるであろうが.

このような過渡期において取り残されるのは結局特殊な装置を使ってパソコンの操作を行なっている方(主に障害をもたれた方であるが,それに限らずDTPやCAD/CAMを仕事にしてる方)であり,高齢者なんかはその変化についていけない,これは果たして進歩なのか?新しいものと古いものの間で私はフト思うのだ.

追記
時間はかかるとはいえ「WindowsXP」「MacOS X」対応の福祉関連ソフトは出てくるだろう.そのときはWindowsもMacintoshも「落ちにくい」安定したOSとなっているのであと1年もすりゃ状況がかわるとは思うんだけど…,でもその頃には新しいOSのβ版が公開されているという時期だろうし….結局はタチの悪いイタチごっこなのかなぁ,パソコンとその入力支援装置って.

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音声読上ソフトウェアの使い方

私のコラムを読んで頂いた方には決してMac OSやWindowsといったGUIが完璧なユーザーインターフェイスでは無いことは分かって頂けたことと思う.かといってUNIXやDOSなどのCUIではメタファーとか無いもんだから,知的に障害がある方や認知に障害のある方にとっては非常に使いにくいもんである.あっ,勿論所謂健常者の人で私みたいなパソコンマニアでない方にとってはきっとGUIの方が使いやすい訳なのだけれど.

GUIが何故完璧でないのか?それは視覚に障害のある方がパソコンを利用している状況を考えてみて頂くと分かりやすい.もし,今ディスプレイがぶっ壊れて画面の見えない状態でパソコンを操作しているのを想像して欲しい.果たしてその状態で使いこなせる方がいるだろうか?答えは多分「いない」であろう.ただ,私の場合,画面のリフレッシュノートを上げすぎたときに画面の見えない状態で強引に操作し,通常の画面に復旧させたことがあるから「いない」ってことはないのかもしれない.どうでもいいが,こんなことはできてしまうのに,何故VGAモードで再起動して画面のプロパティを変えることを思いつかなかったのか,そんな自分が不憫で仕方ないのであるが….

では視覚障害者の場合どのような方法でGUIなOSを使いこなしているのであろうか?大きく分けて3つの方法がある.

1つめは弱視の方の場合であるが画面を拡大するという手法である.これはWindowsには「マイクロソフト拡大鏡」,旧MacOSには「クロースビュー」にその機能がついてある.またもっとユーザーに使いやすいように工夫されたソフトウェアが各メーカーから発売されている.

2つめは点字ディスプレイを使う方法.ただしこれだとコマンドラインしか分からないから何らかの補助が必要になる可能性が非常に高い.CUIだとなんとかなるのだが….画面をそのままピンでできたディスプレイに再現するハードウェアが販売されていることはされている.これでも完璧とは言えないのではあるが.ちなみに大学時代の研究室仲間がやっていた研究が結構面白くて,触覚で色を感じることが出来るのか?というものであった.このような研究がもっと発展すると,よりGUIを使いこなすことのできる視覚障害者が増えるのかもしれない.

3つめが今回俎上にあげる音声読上ソフトである.これはその名のとおりアイコンやらファイルやら,あるいはホームページやテキストファイルの音声読上を行なうソフトである.勿論,それで全ての画面情報が伝わるわけでは無いのだが,一番利用者の多い方法だと思う.

実はこのコラムを書こうと思ったのは視覚障害者のコラムを書くぞ!と急に思い立った訳ではなくある方から面白い使い方を教えて頂いたからなのである.某会社の経理係をやっている方から聞いたのであるが,会計ちゅうのは「読合せ」なる作業を行なわなくてはならないらしい.そりゃそうだ.間違ってたらえらいことだもんな.で,その方がある日ネットサーフをしていてたまたま「音声読上ソフト」を見つけたと.「読合せ」をするのはどうしても2人必要だけど「音声読上ソフト」を使うと1人でできるんじゃないかな,と思ったらしい.

その方法は実際の「読合せ」で使っているそうである.なお,音が出るのでどうしても他の部署の人から見ると?なんて顔をされるらしい.ま,帳簿とにらめっこしながらパソコンから出る合成音声に耳を欹ててる訳で,確かにそうかもね,なんて思ってみたり.でも,今はもっぱら家でのネットサーフやメールの読上げに使っているとのこと.なんでもテキストばっかりを見てると目が疲れて肩がこるというのが理由らしい.

ほー,こんな使い方もあるのか.ユニバーサルデザインみたいじゃのう.なんて思ってコラムを書いてみた.福祉用ソフトウェアって実はもっと面白い使い方があるのでは無かろうか,などとふと思うのであった.

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天然ピアス劇場観劇記

徳島での「観劇」というとあの「コスモスの収容所2000」以来1年半ぶりということになるのかな?その間に劇団「徳島」の公演で音響・ナレーションをやったけど,あれは当然観劇じゃないしね.そういえば劇徳のホームページは更新はいつなの,ちゅう声があちらこちらから聴こえてくるんだけど,写真が無いんやもんしゃーないやん!デジカメを忘れた私にすべての原因があるんだけどね,失礼.

というわけで「天然ピアス劇場」さんの第5回公演内田春菊・作/田村可奈・演出の「ぼくに優しい四人の女」観てきました.天ピの公演といえば第2回公演「ホントに?」と第3回公演「フォリア・ドゥ -伝染-」を観たのですが,かめちゃん初の演出ということで興味深く拝見致しましたです.

まず,脚本が内田春菊という点に関して… わたし,ハズカシながら内田春菊のマンガって読んだことないのよ.あえていえば彼女が原作・出演していた「ファザーファッカー」を観たくらいかなぁ.あの映画もかなりキワドイ映画でしたが,好き嫌いで言えば好き寄りなので,「キワドイ台詞が出てくる」とかめちゃんがうちの掲示板で書いていてもさほど気にはしなかったのね.これが.

で,実際舞台を観ての感想.最初に書くと「男なもんで正直女の気持ちはよー分からん」でした.別にけなしているわけじゃないのよ.正直そう思ったので.演出的なところはそつなく出来てたとは思うんだけど,若干中だるみというか「ゆうじ」が2度目に登場するシーンまではなんかテンポが遅くじれったい印象だった.で,どうしても会社の場面だと制服のイメージが強かったもんだから各女性陣の性格が掴みきれなくって分かりにくかった.

でもそれ以降ははリズム的に速くなった感じがしたし,各女性のイメージもはっきりしてきたので分かりやすかったですわ.かめちゃんが掲示板にて書いてくれた「あまり重いテーマはキライな天ピです。テレビを観るよう感覚でみていただきたいなあ。」というのがあったかと思うのですが,今回の劇をどうしても重く観てしまうのは私が男だからなのか,それともマイナス思考の強い人間だからなのか?重いとは言っても劇の中身の話であって,観た感じはテレビを見てるような感じで気楽に観れましたよ.

ごめん,帰ってきてちょっと酒は言った状態で書いてるから,これ以上書けませんわ.とりあえずファーストインプレッションということで….あ,あと今回の劇の音響に使われてた曲なんだけど誰の曲か教えてくれません?サウンド的にお気に入りでしたので,かめちゃんよろしく!では!

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文章を考察する…

ごらんのとおりである.私の書いた文章というヤツは非常にムダが多くかつ読みにくい代物なのである.仮にもお仕事で「コミュニケーションエイド」なんて人にモノを伝えることで給料を貰っているのに,なんだいこの様は,といった感じである

今日も今日とて会社にて先日のセミナーの報告書やら,新規に導入する商品の企画書のようなもの,はてはウチの会社で発行している小冊子の原稿やら,たくさん文章を書いてきたのである.けどいつものクセである.話があちこちに飛んで飛んでで焦点がよく定まっていない文章になってしまうのである.

それはそれで納得しているのである.書こうと思えばすっきりした文章も書けるハズなのである.でもやらないのである.努力不足と言われてしまえばそこで話が終わってしまうのであるが,この用にホームページのコラムやらエッセイやらで書いている文章量が圧倒的に仕事のそれより多いのである.ホームページを作成することの方が個人的にはプライオリティが高いのである.だからこのような文章になってしまうのである.

以前のコラムにて様々な音楽やら映画やら,はたまた演劇やらの感想文みたいなモノを書いてきた.私のフェイバリットバンドのひとつ,LED ZEPPELINのアルバムに世間一般で最高傑作として語られることの多い「PRESENCE」というのがある.このアルバムを最高傑作という人の意見は大体にしてこんなのである.

「ブルーズの贅肉を削ぎ落として骨格というか固まりだけにしてしまったようなへヴィーロックだから…」
言いたいことは分かるのである.ものすごいテンションの高い,ひたすら骨格だけになったシンプルかつ重いサウンドは私も好きである.だけどそれだけじゃつまらないのである.

私の文章はひたすら話に尾ひれ羽ひれをつけて,それを文章のリズムをつけるように散りばめて,好き放題書かせて頂いているのだ.だから,このようにわざとテンポをつけないように文章を書いてみていて分かることなのだが,なんだか文章を書いていて肩が凝るのである.意図的にやろうと思えばできるのだが,もうしょうがないのである.5年間のうちに蓄積された文章を今更かえることはできるであろうか,答えは明白である.

人生の中でひたすら寄り道ばかりしている私である.文章だって寄り道しながら書いても良いのではないか,そう思いながらこの文書を書いている.多分これからもスタイルを変えることなく,ひたすら紆余曲折,意味の無い言葉,奇声,そんなものを織り交ぜて文章を書こう,そう誓いたい….

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割り切れないもの

割り切れないもの「余り」
5を2で÷と当たり前だが1余る
割切っちゃうと2.5 0.5だけが何とも中途半端
私にだって割り切れないものあるよ 生きてる中で
だとしたら「余り」はいくつになのかな
強引に割った小数点以下はいくつくらいなかぁ

なんだか最近こう思う
もしかしたら「苦しみ」は「余り」や「小数点以下」があるからじゃないのからかいなかと
なんか上手くヤってる人見ると 「余り」や「小数点以下」が無いように見えるのさ
もしあなたが何もかもが割り切れるとして
苦しみや悲しみに襲われたりしないのかな
映画見てないて 音楽聴いて和んで
そんなことは割り切れることなのかな

もしその「余り」とやらが「苦しみ」の元だったと仮定して
人生の充実感や楽しみや嬉しさやバカバカしさの元は何なんだろう?
答えの見つかるはず無い数学だけれども
それもなんか「余り」のような気がしないかい?

そうなんだったら割り切れる人生より割り切れない人生の方が
なんだか面白そうじゃないかい?
もしホントにそうなんだったら5÷3にたいな簡単な数式で表されるものじゃなくって
ルート2とかルート5みたいに受験生の皆さんに覚えてもらうのも楽しいかもね
πとかeとか ホントわけわからない数字
人生の余りモノ そんな風に楽しみたいね

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さては哀しきひとり芝居

なんか今日は体調もいいぞ,珍しい….なのにホームページの更新をしている,さらにさらに珍しい!

もういいかげんネタにするのもアレなんですが,わたし,いろんな事やってきました.演劇,人形劇,ロックバンドのドラム,フォルクローレのサンポーニャ&ギター,あと何があるかな…,あっ,うどん隊隊長ね,やっぱりやりたいんだよ.何かがさ.今のところ仕事は楽しんでやるように心掛けているので,基本的にネガティブなことは考えないようにしております.いいところ,自分の勉強できることを速く吸収していきたいのだよ.そして「夢」に向かって近づいていきたいんだよ,分かる?だから今会社に勤めてる訳.求めるべきものが無くなったらどうするのかは知りませんケドね.

でもね,仕事だけじゃつまらんやん.趣味でパソコンを集めていじったりするし,それも良いんだけどなんだか仕事の呪縛から離れられないように感じるときもあるわさ.そんなときには大好きな映画や演劇のビデオを観たり,小説を読んでみたり,意味も無く梅田に出て阪急百貨店の下の柱にもたれ掛かって人間観察をするんですな,う~んいろんな人がいるもんだなと.

世の中にはホントいろんな人がいる訳でございまして,往来を行く人々を見ると飽きがこないんだな.この人はどんな生活してるんだろう,どんなもんが好きなんだろうと勝手に人格を決めてしまって遊んでしまうのです.なんか精神的ストーカーみたいだな,こりゃ.イヤ当然そんなことは無いのですがね.そんな風に考えるとその人になりたい,そんな風に思ってしまう瞬間がある.ま,察しのよい方は気付いたことだと思うが,演劇の世界に返りたくなる瞬間ですな.

このようなネタはイッセー尾形の得意とするところだが,わし,彼の舞台NHK教育で一回しか観たこと無いもんだから良く分かりませんのよ.なんかこの方法論でひとり芝居するとどう考えてもイッセー尾形状態になりそうだからなぁ,注意しなきゃ.先達のいることやってもつまらん,なんてことは無いし自分に新しいものを作るパワーが絶対的に足らんのは経験上よーわかっとることなんですが,やるならやるでブチ切れたいですやん.

ということでどうしても以前のコラムに書いた清水義範大先生の登場となる訳ですな.今回のコラムタイトル「さては哀しきひとり舞台」というのは先生の小説「ひとりで宇宙(そら)に」という短編のイメージからつけたのさ.これはホント暗記してどっかで絶対ひろうしちゃる,というくらい大好きな作品なんですわ.暗記力ねーしなー.台詞吹っ飛ばすの得意だしな,まーいい.とりあえず暗記してみようっと(余っている脳細胞をフルに活用して,と)

今の自分の置かれている状況ってのは先生の作品「また会う日まで」(←このタイトルは当然尾崎の曲から来てるのね,豊じゃないよ,紀世彦だよ)なんだよね~.芝居にすると恐らくは二人芝居になると思うんだけんども,だれかやりません?おばあちゃん役,このホームページで募集します!メール下さい.できれば若い女の子なんだけど老け役が出来るような人が…うそです,これじゃあからさまです.主目的を見失ってます.文句は言わんやってくれる人ホント連絡くれい!

あとは「永遠のジャック&ベティ」だ!わたすぃジャックやるからベティやってくれる女性大募集!だからこれも勘違いされちゃうって.でも若干老け役だからねこれも.そっか,これやるときは私も40歳台の男を演じなきゃいかんのか,楽しそうじゃないの,やったろうじゃないの!他には前書いた「役者語り」か……,あか~ん!!どう考えてもハードルが高すぎーる!ひとり芝居やし.でも暗記してみよう.あと何かな~……仕事やってるとこういうシチュエーションってめちゃ怖いなぁと思う小説があるんだけどなぁ.「靄の中の終章」で良かったかぁ,オリジナルタイトルは「傷のあるレコード」でしたっけ.怖いぞーこれは.実質二人芝居か,おれがじじぃで嫁さんしてもらうのぉ?80歳台の役かよ!

なんか何時もよりターボがかかっていきあたりばったりだなこりゃ.「ガラスの仮面」じゃないんだけどね.出来れば多くの人生をやってみたいやん.いろいろやっとかなきゃね,そ,いろいろ……,夢が多いのも辛すぎるね.

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