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2001年8月

ケータイ・ブロードバンド時代のネチケットから…

今回はネチケット(ネットワーク上のエチケット)の話です.

先日,友人からチェーンメールが回ってきまして,精神的に逝ってた私は「チェーンメールやめてね」とお返事したわけです.友人は「知らんかった,ありがとう!」ということで特に問題になることも無かった訳でございますが,このとき私は考えたのでした.やはり,ケータイからメールをはじめた人と私みたいにインターネットって言葉が一般的になる前からメールを使ってた人との間には相当のネチケットに対するギャップがあるのではないのかなと.実際問題その友人はケータイからはじめた人だったからね.

まず何故チェーンメールがいけないのか.それに関しては私が友人に送ったメールより抜粋いたします.最近文章書くのがしんどくなりましてねぇ,ジジィじゃ,ジジィ….

こういったチェーンメールの問題点は次のとおりです.

  • 不特定多数にメールを送りつける.
    ネット上の負荷が高まる → システムが止まる可能性がある.
  • 送る人の良心に委ねてある.
    以前はネット上で「A型の血液が足りません,このメールを10人の人に転送して…」などといったメールがよくありましたがほぼ100%「うそ」です.仮に本当だとしてもメールを使用してこのようなこと行なうこと自体が間違っています.

ようするにメールで通信料がかかる人にとっては,山ほど来る「悪質メール」「迷惑メール」と変わらないものです.ケータイ・PHSの普及でネット上でのチェーンメール遊びも増えていますが,昔のネット事情を知るものにとっては「エチケット上やってはいけないこと」と認識されています.

これだけの説明でははっきり申しますと不充分でございます.そういえば,以前はよくケータイの情報サービス(i-mode,EZWeb)なんかがよくダウンしてましたがこれも今にして考えると若いもんがチェーンメール的な感じでメールをしてたからなのかなぁ,なんて考えてみたりして.ネチケットに関しましては参考になるサイトをご紹介という形でお茶を濁したいと思います.私が説明するよりずっと分かりやすいと思いますので…

このあたりを紹介しておけば良いのかいな,と…

まぁ,わたくし別にネチケットのことをねちねちと書きたいわけではありません(ここ笑うところね,あと笑うところ無いよ).最近,もしくは近未来のネット世界のことを書きたくってまず最初に「ネチケット」から責めてみた次第です.

この間とある展示会でK大学(Kは私の出身地)のN先生とお話させていただく機会がございました.そのときの講演のなかで先生はなかなか「ネットおかま」に絡めてなかなか楽しいお話をしていらっしゃいました.先生のおっしゃったことを私なりに解釈いたしますと「別にネットおかまが悪いことだとは思わない.実世界とはまた違った一面をそこで見せるというのは面白いことなんじゃないか.同様に障害を持った人でもネット上ではその部分は隠されて所謂「健常者」と同じように振舞うことができる.ネット世界というのはそういった面から見るともっと可能性のある面白い世界なのではないか.」と私なりに咀嚼してみました.

実はこの話を聞いたとき,私の会社に去年私が患ったのと同じ状況で長期の休みを強いられているお世話になった先輩がいるのですが,その先輩の言った夢のことを思い出しました.その先輩はゲームが大好きな方でして夢というのが「障害のある子でもない子でも同じ土俵で戦えるゲームができたらなぁ,と思っている.障害を持った子,持たない子関係なくゲーム上ではおなじ野球ゲームができる可能性があるじゃない.俺はそんなものを売りたい」というような内容でした.私も結構この考えに近い夢(「世界一のコミュニケーションエイドのスペシャリスト」になりたいということには,もちろんこのような内容も含まれるのさ)を持っていたので話を聞いたときは感銘をうけたもんです.先輩,気長に構えて体の調子を整えてくださいね.

と,この2つの事柄が示すようにネット社会やハイテク社会ちゅうのは「健常者」だけでなく障害をもたれた方にとっても面白く,障害とは別に健常者と同等に羽ばたくことができる社会なのかなと最近感じます.

とはいうもののやはりこれまでの「実世界」とは違う世界だけに様々な行き違いや,弊害を生じる世界であるとも言えるわけです.それが最初に書いたネチケットの問題でもある訳ですが.

2ヶ月ほど前,母親からこんな電話がありました.「なんか今日あたり大地震が起きる,ってインターネットで見たって後輩の先生(注:ママは幼稚園の先生です)が言うとったんやけど,ホンマな!?」…ホンマなったって地震のこと気にしとったら日本にすめませんがな.ノストラダムスと同じよ.と言ってデマや噂の危険性をオブラートに包んで母親に説明しときました.でもオブラートって溶けるんだったよね,確か….コンドームくらいで包んどいた方がよかったかしら(意味不明).

このように噂というものは大きくなるものでして……なんて書いてたら只でさえ長くなりがちなコラムがより長くなってしまうのでちょっと省略.噂やデマ,大嘘,危険思想,死体,裸体etc.と,まぁいろいろな倫理的に問題のあるものやら,見たくもないのに今日も見たエロ画像,あぁ中坊じゃあるまいし…などといった様々なものが広がっているのがネット社会な訳でして,それが本当の自由であることは分かっているのですが,自由というものを楽しむためにはやはりそれなりの責任を果たさなきゃいかんと思う訳ですな.

その責任というのが今回私の言いたいこと.簡単なことなだけど「情報を取捨選択する能力を養う」ってことね.英語で「メディアリテラシー」っつうの?日本じゃまだまだこのあたりのことが教育されていないというか,行き渡っていないというかそういう土壌であるが故にうちの母親のようなことが起こるわけですね.「テレビであの人が言ってたから」「ホームページで書いてたから」ということが正しいかどうかを見抜く力がいると思う訳さ.簡単なことなんだけど,難しいよねこれって.

情報量が増えることはめでたいこと,だけどもその情報の海で溺れるんじゃなくって,帆を張って漕ぎ出していきたいよね.ってことで!

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剣山スーパー林道「リベンジ」爆走記

0.まずは徳島に行く前に…

昨年の「剣山スーパー林道」の大冒険は大変だった.去年のドキュメント小説を読んで頂ければ分かるというものである.なのに,なのにである.あのもやし氏から電話が掛ってきたのである.
 もやし氏:「なぁなぁ,今年も徳島来るんやろ.去年のリベンジやるよなぁ」
 私:「もちろん徳島行きますけど,するんですかぁ?まぁ,いいんですけどどの車使うんですか?」
 もやし氏:「俺の車使う予定やけど…」
 私:「ちょっと待て!あんたの車オイル漏れしとる言うてませんでしたか?」
 もやし氏:「大丈夫,ちょびっとずつ漏れとるから2~3年持つ言うとったで」
 私:「いや…そういうことを言いたいんでは無くって….大体ですね,剣山ですよ!1000メートル級オフロード80キロですよ!スーパー林道なんか走ったら2年分以上の負担を車にかけることになるんですよぉ!あんたは去年のあの悲劇を繰り返したいのですか.」
 もやし氏:「だめ?」
 私:「だめです!私のギャランでいきます!これ決定事項!ちゃんとオイル交換しときますから.」

 結局もやし氏の陰謀に乗せられて,また剣山スーパー林道へ行くことになってしまったのである.

1.下準備

8月11日私は6年間の学生生活を送った徳島へと旅立った.去年とは違い今回のミッションに使う三菱ギャラン10年落ちモデルでのリベンジである.早く着くかと思ったのだがとんでもない大渋滞に巻き込まれてしまい,なんと午後6時到着予定が9時半着になってしまったのである.こんな時間から剣山スーパー林道(ちなみに「つるぎさん」と呼ぶのが正しいが徳島人はどういうわけだか「けんざん」と呼ぶんだな,これが)に行くとあんた,ゴールが朝の4時,徳島着が6時よ6時,でもやっぱり行くんですよね,バカです,バカ….

徳大にとりあえず行ってもやし氏を呼び出す.「どっちの車で行くの?」と彼は言った.だからこの間電話で話しただろう!俺の車だ,ギャランだ,noviから4万円+パソコン修理代で買った奴だ,今日オイル交換だってしてきたんだ,一番安い奴に!

というわけであいもかわらずの2人であったがとりあえずMスBガーで飯を食う.そこで綿密なる打合せを行なった.前回の敗因は準備不足によるものであると判明,言わずもがなである….もやし氏によると彼の友人曰く「スーパー林道に行くときはいざというときの為に食料と照明弾を用意しておけ」とのこと.よく考えてみるとこの段階ですでに負けているような気がする….とにもかくも近くのSンクスで食料,飲み物,照明弾代りの6連発打上げ花火(図1)を買って出発(たびだち)である.


図1 非常食と言えば徳島だけに大塚製薬謹製のポカリとカロリーメイトで決まりやね

2.文明社会とのしばしのお別れ

去年と違い,今回は更なる無茶をしている.上勝町の徳島寄り入り口から木頭村高知寄り出口まで一気に完走を狙うというのである.その距離80キロ.高速道路の80キロはあっちゅう間であるが1000メートル級オフロード,しかも夜道である.どう考えたってアベレージ20キロがせいぜいである.あー,なんでこんなことしてんだろ….

陽気とも陰鬱ともとれる,ある種トランス状態に近い雰囲気の鬱病男と自律神経失調男(兼小麦粉アレルギー,だからうどんが食べれない…)の会話が進む中,上勝町へと車を向ける.山の登りのカーブが楽しいからと,スーパー林道にも入っていないのにコーナーを攻めながら突然現れる対向車に腰を抜かしながら,ようやく目的のスーパー林道が近づいてきた.恐らくは最後のまともな自動販売機がある上勝町の某温泉で自動販売機でジュースを買う.もしかしたらこれが最後の飲み物となるかも知れない.そんな恐怖感を抱きつつ我々は文明社会との別れを告げるのであった.

それから車を進めること約10分,時刻は午後11時30分,いよいよスーパー林道入り口である(図2).


図2 まっすぐに木沢に抜けることも出来るのに…

3.序盤戦(Kamikatsu and Kamiyama to Kisawa)

例によって例のごとく今回もしばらくは舗装道がつづく,前回との大きな違いはしばらくは民家が続くということである.しかし,林道沿いに暮らすっつうのもどんな気持ちなんだかなぁ,などと思いつつ車を進める.今回もどうせ閑なんで,対向車の数および出会った動物の数をチェックしてみることにした.

舗装道が終わるとイキナリの超強烈オフロードである,轍があるのではない.明らかに道路上に水が流れた後があるのだ(図3).恐らくは土の混じった赤い水が流れたハズである,「う~ん,オー・ルージュ」なんていう余裕すらない,明らかに歩いた方が速いスピードで車を進める.こんな状況下なのに車の中では「中学生連れてきたら川の流れの勉強になるね」という大ボケをかましたもやし氏に,私はヒーヒー言いながら運転しているにも関わらずツッコミを入れて差し上げるのであった.


図3 しゃれになっていない路面状況…

巨大岩石を避け,小さい石をタイヤではね,強烈な段差にアンダーパネルをこすりつつ約1時間かけてなんとか木沢村までたどり着いたのだった.

4.ひたすら長~い中盤戦(Kisawa and Koyadaira to Kitou)

木沢村についてようやく昨年のスタート地点国道193号までどうにか辿り着いたということになる(図4).どう考えてみても昨年の方が路面状況は良かった.ただ,ただカーブの先の石に意志をもって突っ込んでいったが為に起こった事故が昨年の結果である.大体あれである.普通石を木と間違えたからといって突っ込んでいく野郎はあんまりこの世の中にいない,約一名を除いては….ここだけの話であるが,はっきりいってメカには弱いが運転テクニックは私の方が上のハズである.ただ,精神安定剤を飲むと判断能力があからさまに下がるので,普段は下手に思われているだけなのである.そんな状況で運転するなよ,たってあんた,だから事故3連発起して去年の夏休んじゃったんじゃん.というわけで当たり前のことであるが,今回,この「リベンジ」を行なうにあたっては当然薬は飲んでない.いやぁ,仕事のときとは違ってなんと準備の良いことであろう!


図4 国道193号線の看板

一応ここで若干の休憩を入れる.多分,私思うにここまでの工程がもっともハードだったのではないのかいな,と言ったらもやし氏は「気を抜くな,去年はここから先であの悲劇が起こったやろ」とひどくまともなことを言うのである.雨降って地すべり,みたくならなければ良いのだがと若干の不安が心をよぎる.この国道193号線でなぜか神山町より木沢村方面へと向かう車が2台あった.「ここから先が難所やのに大丈夫なんですかねぇ」「こんな夜中に国道193号のオフロード部分(実際地図には「通行不可」と書かれているものもある)を走るゆうたらアホやな」とはこれから真夜中にスーパー林道を走るバカ2人の会話である.

やがて休憩も終わり昨年の魔の地点に向けて車を進める.やっぱりどう考えても路面状況はこちらのほうが良い.若干の落石はあるのだが,時速20キロで走ると屁みたいなもんである.しかし,去年の事故のポイントへはなかなか辿り着かない.結構,すぐ事故ったような気がしたのだが….1時間ほど走って昨年の地獄の行軍の際に下の集落へ降りていく道のところへやってきた.

今年はここを歩かなくてもいいようにと自分自身に祈りを捧げる.無神論者の私ではあるが,なぜか盆正月にはきっちり実家に帰るという「律儀」な私である.やっぱり信じるのは自分自身なのである,となりにいるもやし氏は今回は単なるしゃべる置物なのである,ちょっとでっかい(身長185cm)のボケ専門のファービーくんなのである.

あらためて去年の事故ポイントから車停止ポイントである「にくぶち谷」まで走ってみたのであるが,これが結構時間が掛るのである.約30分以上は掛ったであろうか?こんだけの距離を歩いたということは実際のところ30キロどころの騒ぎではない,ほぼフルマラソンに近い距離を歩いたことを確認し感慨にふけるバカ2人.折角だからにくぶち谷で写真を撮ろうと思ったのであるが,なぜかそこにはキャンパーの車とテントが….…なんで去年あんたらおらんかったの….と哀しくなってしまい写真も撮らずに一目散に木頭村を目指す私ともやし氏であった.


図5 やっぱり携帯の圏外なのね,スーパー林道って

5.ラストラン(Kitou)

どうにか木頭村に入るためのスーパー林道中唯一のトンネル,その名も「剣山トンネル」までやってきた.もうここまで来たら大丈夫.木頭村は諸般の事情により恐らく路面はきれいであろうとふんだわたくし,ちょっとしたイタズラを仕掛けるのであった.木頭村区間のみ基本的に全開ギリの走行で行くのである.もちろんもやし氏には内緒である.

やりましたよ.WRCで良くみるスライド走行って奴を.約5回ほどしましたかね.で,もやし氏曰く「俺もスライド走行やったことあるで」「どこでですか?」「冬の上勝で.なんか雪積もっとって路面がアイスバーンになっとって,ちょっと滑ったと思って逆ハン切ったらスピンした」「…」そういうのはスライド走行とは言わない,単なるスピンによるコースオフ・リタイアである.まぁ,とにもかくもバカな会話を繰り広げつつ,午前3時45分ようやく木頭村の国道195号合流地点,つまりはゴールに辿り着いたのであった.


図6 ゴール地点の看板なのである

ゴールした私たちは予め照明弾代りに買っておいた花火をぶっ放してお祝いをするのであった.ま,なにも無くて良かったですわ.

6.データ集

  • 出発時間 8月11日午後11時30分
  • 到着時間 8月12日午前3時45分
  • 鹿 32頭
  • うさぎ 7羽
  • たぬき 2匹
  • よくわからん鹿みたいな黒いの(「かもしか」かなぁ…) 2匹
  • 対向車 0台……

7.今後の展開

 もやし氏:「来年は国道439号線全線制覇やろ」
 私:「…1400メートル級の峠2つですか…」
 もやし氏:「でも舗装されとるで」
 私:「…」
 ということらしいです,ハイ…….

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Syntax Error

今日は代休だ.家にいても暑くてクーラー効かないし,会社に行って涼むなんてのは意味無いし,行くあては無いのだけれども,とりあえず梅田に出ることにしてみた.

梅田に着いて阪急3番街をぶらぶらと歩く.この場所が一番大阪という場所を感じることができる.阪急百貨店のステンドグラスの通りの柱にもたれて行き交う人々を見るというのも乙なものだが,暑かったので今日は辞め.そこで本屋に入ってみた.

入るとクーラーが効いていて少しは涼めるのであるが,ずっとその場所に留まることもできない.かといって再び往来に出てしまうと暑い上に,平日に休んでいる私にとって汗にまみれる営業マンたちを見るのが忍びなく,喫茶店で時間を潰すことも出来るのだが,そこにはサボタージュしている人種が棲息しているわけで,腹立たしくなるのも嫌なので地下に降りてみた.

地下街だとまあ気持ち程度にクーラーは効いている,結構名案かとは思った.が,考えるまでもなく状況が地上とそれほど変わるはずも無くすぐに飽きた.

そこで大阪駅からただただ環状線に乗ってぐるぐると同じ所を回りつづけるという企画をぶち上げた.言うなれば「超巨大メリーゴーランド・大阪夏の陣」だ.久々のバカ企画に納得し早速電車に乗り込んだ.

なんか電車に乗ったとたんねむくなってしまった…….




ぼくのかくぶんしょーわ
いつもえらーばかりでる

ヤったことかいたらながすぎるっておこられるーし
ヤローとすることかきゃわけわからんとどつかれる

そんなときはこうさけぶのさ
「のちにとんちみらこちのちんちすらほぬぬ」
あーぶんしょうをかくことのむつかしさよ

だからきょーわめがねをかけてかいてみた
せかいがなんだかまともにみえる
おーこのすばらしさよ!


#include <stdio.h>
main()
{
 char str;
 scanf("%c",str);
 printf("ヨウコソイツモノバショエ")
}

あれこんぱいるできないぞ
しんたっくすえらー
とりいだしたりまするははじめてのしい

だめじゃんCじゃわかんねーよ
BASICでやってみようきほんきほん


10 INPUT "アナタハナンデスカ? " ワタシ$
20 IF ワタシ$="カイシャイン" THEN 50
30 IF ワタシ$="ガクセイ" THEN 50
40 IF ワタシ$="プー" THEN 50
50 PRINT "アンタモヒマネー"
60 GOTO 10

……

けっきょくなにやってもおなじじゃん
ぐるぐるおんなじところをまわりつづけるだけなの




…ハっと目を覚ますといつの間にやら大阪駅に戻っていた.普段は眠れないで睡眠剤を飲んでいるという有様なのに熟睡していたようだ.別に夢は見なかった.のだが手元にPDAの画面上に書かれていたのがこの文章である.超巨大メリーゴーランド・大阪環状線には不思議な魔力があるのかな,ふとそんなことを考えた.

改札を出ると乗る前と同じ人の波.タバコに火をつけて私は再び阪急3番街へ向かうのである.

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だれでも障害者になるとはこれ如何に

前回,前々回の「パソコンのコラム」ですが超局地的に議論を呼びました.そのことは今回書くコラム「誰にでも障害者になる」との内容ともダブってくる内容であったので本人(わたしのサイトのことを「箱庭療法」と言ってくれる優しい野郎です(笑))の了承を得てコラムに書き加えることにしました.ありがとうね.でも,掲載の条件が「おもしろおかしく書くこと」って,あんた,真剣にやりとりしたメールの内容を笑いに持っていく手間も考えて欲しいものですな.というわけで早速…

結局のところ「ユニバーサルデザイン(以下UD)」の本質はどこにあるのか,ということからメールのやりとりがはじまった訳ですな.彼曰く1通目のメールでは「UD=流行りもの」という切り口で切り込んできて,長い時間的空間をもって行なうべきものではないかと書いておりました.この「長い時間」っていうのがこの後のネタの振り方の伏線になっているから,ハイ,ここちゅーもーく(金八風で言ってください)!!これに対する返信は会社に対する愚痴がほとんどであったためここではちょいとシャレにならんので書けません(笑).ま,返信に書いてることの一部は後にちょっとだけ出てくるのでご安心を.

2通目にはエコロジーの観点も考慮に入れてリサイクルの話も絡めつつ「モノを長く使うこと」について語られておりました.そんな中でのUDとは,ということで彼は次の3つの例を投げかけて来てくれました.「UD=マルチパーパス」それとも「UD=インテグレート」それとも「UD=コンビニエント」?そこをちゃんとして欲しいよね,といったことでメールは終わっておりました.私の書いた返信の一部をここに書いておきますね.
以下私のメールを斜体彼のメールを太字で表記します.

一般的には「ユニバーサル=インテグレート」なんでしょうけども,少なくとも(ピー:ネタ的に書けない)はまずそれではない.ちなみに「インテグレート」されたUDだときっとコラムに書いたのこり3割(「何故「アクセシビリティ」に拘るのか」を参照)が沈み込むのは目に見えているから,俺自身の考え方もこれではない.

「ユニバーサル=マルチパーパス」ってのが俺の考えに近いかもしれない(PC上でのUDの場合ね).パソコンを使用するという共通の目的のための複数の手段を提供するってことだから.あ,これじゃ手段と目的が逆転してるなぁ… まぁいいか.

「ユニバーサル=コンビニエント」.説明するぶんにはいいかもね.便利ちゃ便利なもんだけどある人にとっちゃ使いにくいもんだってある訳でして.これを考えると友人の○○君が学生時代にやってたのは「ユニバーサルデザイン」の研究といいながら,ある方向に特化したものを造ってたことになるから厳密にはUDじゃないのかもね,なんて思ってみたりして.

そもそもあのコラムで書きたかったことの一つは「ユニバーサルデザイン」なんて幻想なんじゃないのということを暗に示したかったってのもある.自己矛盾してるように聞こえるかもしれんけど,結局は日本における「ユニバーサルデザイン」なんて企業が聞こえの良い言葉として広げたようなイメージがあったもんでね.(註:メールとは言えキワドいこと書いてんなぁ…)

俺自身がやりたいのはひょっとしたらいわゆる「ユニバーサルデザイン」の対極にあるもんなのかな,なんて考えてしまうわ,このメールのやり取りしてたら.
注:ホントはもと強烈なやり取りもあったんだけど「自主規制」させて頂きます(笑).

その返事の3通目に彼はある方向性を提示してきます.彼の考えるUDのコンセプトってのが大変面白いので一部(ってもかなり長いけど)抜粋させていただきます(さっき電話で了解取ったからいいね,読みやすいように改行増やしてそのまま書くよ).

引き合いでエコロジーのネタを出したけど。環境問題て特定の地域問題じゃないよね?国境を超えて汚染物質は飛んでくるし。環境ホルモンで子供は汚れて生まれてくるし。なんだかんだいって遺伝子操作されたものがどんどん出てくる。

今までの人間が決めてきたカテゴリー分け。例えば国境、民族、性別、貴賎、貧富.......。環境問題はそんなものでは解決できないということを僕たちはなんとなく感じてきているよね?

解決の糸口として「我々は人間である。」ただそれだけが共通認識であることから解決策を模索している。この構造はUDのコンセプトと似ている。むしろ問題の取り組みにおけるモチベーションが同じといったほうが判りやすいかな?

高齢化社会の漠然とした不安を内包した社会で今までの概念、例えば男と女、大人と子供、貧乏人と金持ち、自国民と外国人、etcだれだって老いて死ぬというあたり前に感じるようになって初めて二項対立じゃ答えが出せなくなってきただけのことじゃないのかな?そうするとUDユニバーサルの意味が見えてくるのかな。ユニバーサル=グローブという解釈でつめていくとキーワードは共通認識。今の日本じゃ最低の共通認識が無いからUDは、無理かな。

F1層をターゲットにするための方法論つまり購買意欲を湧かせるためにUDという言葉で中身のない商品が氾濫しているからね。きのうのメールの補足としてなんとなく書いてみました。

引用者註:F1層
マーケティング用語でFemale-1層の略で一番購買意欲がしっかりしている2~30歳代女性のことを指す.

…すばらしい!ちゃんと論理の筋道ができている.誰かの文章とは大違いだ.これだけきっちと文章書けるんなら「秘密基地の掲示板」に書いてくれよ.開店以来なんか寂しいんだからぁ.あっ,社長が書き込むという大事件があったか.なんだかんだ言っても,今日も暇つぶしに某急ハンズに行ってたんだけど,そことかLフトとかって「ユニバーサルデザインのなんちゃらです」なぁんてモノを売ったりしているのを観るにつけ思っていたことだったんだ.私は.最近は「おもちゃ」のことでそう思うことが多くなりましたけど….

で,相変わらず前振りが長いんだけどここからが本題.じゃ「誰にでも障害者になる」ってのは一体何なの.その例をここまで書いてきたこととメール内容から抜粋して書きますね.

まず,簡単なところから.皆さん,腕骨折してギブス巻いたことあります?私はございません.「掲示板」に忘れた頃に突然現われ一時期同窓会と化したときによく登場していた朱理くんなんかは,高校時代しょっちゅう骨折してたからもちろん経験あるよね(これネタ振りぞ!おまえの取るべき行動は分かっているよな).実はアレが良く見かける「一時的に障害者になった状態」の一例.よく言われるのが普段何気なくやっているけどトイレで紙を切るとき大変らしいね,あの状況だと.でも,同じようなことは片腕切断者や片マヒの人は経験してる訳さ.あっ,でもうちの会社のある人,ギブスしたまんま車運転して営業行ってたような気がするんやけど…,多分気のせいでしょうね.そういえば,目の手術で一時的に失明するってのもありますよね.つまるところ一時的な病気や怪我によって「障害者」になるってのは誰にでもあることなんですわ.

じゃ,次は新婚旅行によくある光景で….実は私恥ずかしながら海外は「北海道」しか行ったことございません.パスポートも持ってないんですぅ.今のセクションってたま~に海出張行かなあかん必要があるかもしれんのに大丈夫でしょうか?わ・た・し.新婚旅行で初て海外に出かける人ってのも最近じゃ減ったけどまだまだ多いんじゃないんでしょうかねぇ.で,「ハワイ県」とか「グアム町」あたりですと日本語も結構通じるから良いんでしょうけど,初めての海外旅行で「北欧」とか「東欧」とかこれでもかなりハードル高いのに,慣れるまでやめときゃいいのに「アフリカ」やら「南米」に行っちゃう人いるんですよねぇ.別に行くなと言ってる訳じゃないのよ.ここで言いたいことは「言語障害」のこと.「言語障害」や「コミュニケーション障害」の項にあるように海外に出て英語がしゃべれないために苦労するってのは一種の「コミュニケーション障害」ですよね.そういえば,私のセクションにいると「はいPのくろしまんです」って電話に出ると相手が突然「Hi.ペラペラペラ~」とけしかけてこられて「Solly,Please Speak Slowly」とかなり文法も怪しい言葉で切返して,何とか繋ぐべき相手(っても一人しかいないんですが(笑))を聞き出して「Just A Moment,Please」なんて誤魔化すのが精一杯の私も,ある種の「コミュニケーション障害」を抱えているとも言えなくはありません.突然の英語の電話は心臓止まりそうになります.
(くそ~,英語の歌は全然平気で歌えるし,外国の論文とか読む必要があれば泣きながらでもなんとか訳して読んでしまうんだけどなぁ,英会話ちゅうのはあれは反射神経でしょうな)

最後に誰にでも起こりうる問題について.メールのやり取りの中であった「高齢化」って誰にも起こるべきことじゃん.いくらTHE WHOが「ジジィになる前に死んでしまいたい」なんて名曲を作ってもキース・ムーンみたいに夭逝してしまわない限りだれにでも起こることであります.事実WHOのメンバーだって,あの詩を書いたピート・タウンゼントだって若い時期の無理が祟っての「難聴」という「障害」を抱えてしまったジジィになってしまったし,ジョン・エントウィッスルは見事なロマンスグレーになってしまった(註:つうか死んじゃったし…).なのになんであんただけは若い頃と変わらないのロジャー・ダルトリー君.ま,冗談はさておき,老化ってのは「長い時間」をかけて,目が見えにくくなったり,耳が遠くなったり,体が思うように動かなくなったりと,多くの障害を抱えてしまうことに他ならないものだと思う.だからパソコンメーカーなんかは「如何にして老人をパソコンの市場に引き込むか」ということを考えていろいろなことをトライしているんですね(日本IBMの「iTry」が良い例).「高齢化」っていうのは誰にでも起こるべきこと,そのことに気づいたら少しでもUDが日本に根付くのではないかと感じるのでありました.ね,最初にいった「長い時間的空間をもって行なう」商品開発ってところに落ち着いたでしょう!

最後に… 前回のコラム(「何故「アクセシビリティ」に拘るのか」を参照)で障害者のことをあんな書き方をしたのかということで批判に近いメールを頂戴しました.確かに意図的にやりました.その回答を最後のメールのやり取りでしましたのでその文章を書いてこのコラムを終わらせていただきます.

本当の意味での「バリアフリー」とか「ユニバーサルデザイン」のことを理解している奴はいるのかと.俺にしてみりゃ君の書いたとおり否定的な意見を持っている.無理に「ユニバーサルデザイン」を否定しようとまでは思わないけど.定義が曖昧=だれも同じ方向を向いていない=結局言葉のお遊びにすぎない,これは企業だけじゃなく世間一般に言える事だろう.違うかい?

UDに関しては生産者側(企業),消費者側(障害者)の認識が変わらないと絶対ダメ.その答えが企業のことをバカにしたUDのコラムと一昨日書いたコラムの内容.だからあえて障害者のことを醜く最初に描いてみた.障害者だってアメリカと北欧でも考え方が違うし,意外なほどに知られていないけどアフリカの考え方なんかは結構面白い.日本は臭い物にふたをしろな国だからねぇ.(注:ここでも刺激的な言葉を使ってるけど本意はちょっと前までの障害者政策を書いたことです,念のため…)

UDなんて根付くかどうか疑問なのは事実.ま,そんなところで,では.

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何故「アクセシビリティ」に拘るのか

よく「障害はひとつの個性に過ぎないんだよ」という人がいる.私はこういった考え方の半分に反対し,半分に賛成している.何故反対するのか.なんだかんだ言ってみても,どう考えても「障害」と「個性」という言葉の間には大東市と観音寺市くらいの距離があるように思うから.日常生活をする上で何らかの障害があるから「障害者」の皆さんがいるわけであって,それは決して個性ではない.障害の度合いが違うということもやっぱり「日常生活をする上での障害のレベルの差がある」という考え方である.半分に賛成しているというのはこういう言い方だったら論理的に理解できるからである.

「障害を持った人でも個性がある」

これなら分かる.実際に障害を持った方と接する機会が多いわけだが,障害者だからといって「してもらうのが当然」みたいな顔をしている人に対しては「健常者」が同じことをして軽蔑するように,やっぱり私はその「障害者」を軽蔑するだろう.ちなみに私は昔からしていた活動の関係でよく子どもと話をしていたが,決して「子どもは天使」だなんて一度も思ったことは無かった(笑顔を見るのは好きだけどね).「純真無垢」なんてことは逆にフィルターがない分人に対して残酷なことを躊躇なくして,物事を豪速球で投げてくるということが肌身にしみて分かっているからである.これと同様に「障害者はみんな善人」なんてこれっぽっちも思ったことはない.たとえ障害を持っていることが気の毒に思うことはあっても,その人柄が嫌な奴だったら付き合いたくは無い.「車いすにのった脳性マヒの人が詐欺をした」もしそんなことがあったら,私はその行為を行なった人のことは同情しない.会社に入ってからは学生のときに知らなかった「社会のえげつなさ」みたいなもんも見たのでなおさらである.でも,たとえ事故によって胸損になって「普通に」セックスができなくなっても,やっぱり大学時代からの友人であるW県のOさんとは今でもバカなエロ話はするし,真剣に障害者の性の問題なんかを電話でよく話をする.友人関係においては障害があるというのは確かに遊ぶときに「アクセシビリティ」の問題が「障害」にはなることもあるけど,それを補って余りある「何か」があるんだろうな.と,最近ふと感じた.

なんで「アクセシビリティ」に拘るのか.それは簡単,自意識過剰なこんな私のホームページをより多くの人に見てもらいたいから,というところに帰着してしまうのである.簡単なことである,要はより多くの人に「露出」したいだけのことである.というのも半分真実であり,半分嘘である.どう考えても会社の連中にこのサイトを見られるということは自分の「パンドラの箱」を開けられてしまったことに他ならず,おそらく会社の台風の目となること間違いなしである.ちなみに台風の目では風は吹かないし,雨も降らないものさ,ベイベー.

どこぞのだれぞが言い出した,IT音頭に乗せられパソコンを,買ってみたのは良いけれど,1年以上使ってない♪というのが現状であるこの国,ニッポン!光ファイバーも10年前に埋めとけよ!このやろ.大体だね,私が小学生の頃(17,8年前)から光ファイバー,光ファイバーって当時の電電公社が耳タコなほどに言っていたのになんて様だい!!これ以上壊れるとホントに分からなくなりそうだから.ここからはまじめにコラム書くから.「まじめモードに変わりました」(注:トーキングエイドの「だんせいおんにかわりました」の声で).

で,「アクセシビリティ」だが,やっぱり障害者でも健常者でも何かして「楽しみたい」やん,いろんなところ行きたいやん,いろんなことして遊びたいやん.ちなみに私はパソコンを使うのは「遊びのための道具」であり「仕事のための道具」なんである.まぁ,ときどき「コレクトするグッズ」と化することもあるがそれはご愛嬌.もちろんインターネットの大海原にカヌー一隻で漕ぎ出していろいろなサイトに遊びにも行く.学生時代にはあまり無かったことなのだが,社会人になって情報収集のツールとして本格的に使うようになった.というのが本来のインターネットの楽しさ,便利さなんだろうけど,なにせ学生のときは自分の好きな作家のページに言ってメールを出して喜んでいたりとほとんど「ちゅーぼー」状態であった.

以前書いた「Lモード問題,こんな考え方はどうよ」に書いたことの繰り返しになるのだが,アメリカや韓国ではこのようなことが言われている.どんなにパソコンが社会に行きわったったとしても約30%の人は使用することができない,イコール,インターネットを使用できない,イコール,情報格差(デジタルデバイド)が生じる.この問題に関して,ときには直球で,ときには変化球で,なぜかときには牽制球を織り交ぜながら問題解決の道を探す,なんてことも「秘密基地」の一つの目的であるのだ.私の家にパソコンや各種OSや開発ソフトなんかがあちこちに転がっているのはその目的に向かってそれだけ自分が近づけるかという目標があるからなのである.しかしながら目標というやつもかなり曖昧なもんで,ときには単なるパソコンコレクターと化してしまうこともあるし,1年以上プログラムを書くのを止めてると文法が分からなくなってしまうし,「はじめてのC」なんて恥ずかしいタイトルの本を読んでみたりして「う~ん,CはめんどいなVisual Basicで無難に作るか」なぁんて妥協してみたり,そんなこんなしてるうちに興味がPDAに行ってしまってとうとう先日念願のH/PC,ヒューレッドパッカード社製Jornada690を衝動買ってみたり,買ったそばからPalm欲しいって駄々こねたり,いくら頂上がみえていてもわたしはまるでその下を巡りつづける超巨大なメリーゴーランドに乗っているようなもんである.

とはいうものの実際問題として情報格差は生まれてしまうと思うし,それは仕方が無いことだと思う,だって今だってそうじゃない.たまたまそれが「インターネット」って伝達媒体に変わるだけのことなんだから,目が見えなきゃTVは見えないし,耳が聞こえなきゃラジオは聞けない,肢体不自由があったら本だって読めないことはあるし,知的障害があれば文字が読めない場合だってあるんだから,それになんたって我が香川は民放5局でそれなりに情報入ってくるけど,青春の地徳島は民放1局よぉ,市内なら関西圏や香川の電波入るからいいけどそれこそ「あの事件」を起こした秘境の近辺に行ってみ,ホント情報量少ないから.ただ,少なくとも情報量の減少を最小限に食い止めることが私の使命(「かんちがい」と読む)だと思うのだ.ただ,そのための手段が見えては隠れ,そしてまた現れって具合にいろんなものがあるから,今日もまた日本橋に行ってしまうのである.最近は梅田近辺で我慢することも多いが.

ということでこの文章においての「アクセシビリティ」ってのは,何らかの手段を用いて「インターネット上にある情報の獲得のしやすさ」とちょっぴり強引に定義してしまおう.だって,i-modeだって,EZwebだって,J-Skyだって,さらに,ドット-iだって,ONCだって,ブラウザホンだって,そして,L-modeだって,みんなインターネットを利用した情報獲得手段の方法の数々なのだ.今だって休みになったらi-modeで梅田でやってる映画のチェックするし,チケットの予約しようとして失敗ばかりするし.そこにはあくまで「i-mode」を使ってるのであって「インターネットバリバリ使ってるんだぜ」ってことは隠されてしまっているのである.この隠されてるっていうのが重要だと思うのである.だれだってテレビ見るのに電波の伝達方式やら電気回路やら気にしながら観てる人はいないでしょ,あっ言い切っちゃだめだね,そういうことに興味がある人くらいのもんでしょ.

それが大切.インターネットはパソコンという呪縛に縛られているのである.だからこそ「アクセシビリティ」が高まるはずも無い訳で,できればTVの感覚で,本を読む心境で,音楽を聴くかのように,芝居を観に行く前のうきうきした気持ちでインターネットに接することのできる「アクセシビリティ」を私は求めているのだ.それを作ろうとしているのだ.その道はまだまだ険しくきっと遠いんだろうなぁ.なんていってるうちに案外あっさりできちゃったりしてねぇ.

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コミュニケーションエイドはユニバーサルデザインの夢を見るか?

この「秘密基地」というコーナー,私の仕事であるAAC機器・AT機器に関することと夢世界一のAAC機器・AT機器のスペシャリストになること,および趣味のひとつパソコンいじりの間に漂うコーナーでございます.まあ,どうしても会社でできないネタっていうのがいっぱいあるからそのはけ口にもなっているという,真剣にパソコンボランティアをやっている方からは石を投げられてもおかしくないコーナーなのだよ,実は.でも,文章はいつものふざけた文体ながら私のホームページの中でも最も真剣に書いているコーナーなので,みんな怒らないでね.ということで今回は「ユニバーサルデザイン」に対する私の個人的な考え方とAACや支援技術(AT)の観点からみたユニバーサルデザインってのを考察してみようと思うのであります.

「ユニバーサルデザイン」と言ってピンと来る方も多いと思います.日本語に訳してしまうと「共用品」という何とも言えないベーターなことばとなってしまうので,ここはひとつ「ユニバーサルデザイン」略して“UD”というちょいと小粋な略語を使用してみましょ.このUD,実は結構いろんなところで使われているもんなんであります.有名なところでは,シャンプーの横についてあるギザギザかな?あれは賢明な方ならお分かりのことと思いますが,シャンプーの方がギザってて,リンスの方にギザが付いてないのね.これって元々は視覚障害を持った方が簡単にシャンプーとリンスの区別がつけられるようにってことでギザってんのね.でも,よー考えてみてください.視覚障害を持っていなくてもシャンプーしているときに目明けてるって根性の座っている方あんまりいないので結構利用している方いるんじゃないかな?(実はここに「誰でも一時的に障害者になることがある」ということの説明にも使えるのですが,そのネタは次回のコラムに回します,話がややこしくなるので)

ということでパソコンの世界におけるUDって何でしょう?まずよく言われるのが「トラックボール」「トラックパッド」と言ったポインティングデバイスでしょうかね.例えば「トラックボール」だとマウスに比べて手を使うポイントが一つ少なくなる(マウスだと前腕部を使いがちになる方っていると思うのですが,トラックボールだと手首を固定して手指のみで操作可能になるでしょ)ためにCADなんかで1日中ポインティングデバイスと格闘しなきゃならんような方には結構愛されるデバイスだよね.肢体不自由のためにどこかを固定しておかないと不随意運動が出てしまう人や可動域がやや小さいかなといった方に非常によく使われてもおります.また「トラックパッド」はノートパソコンに付いてくる定番のポインティングデバイスですが,これも同様にトラックパッド単体で使用している筋ジストロフィーの方を何名か知っております.まー,トラックパッド単体で販売されている商品は多くない(というか1種類しかなかったんじゃないかな)ので,アルプス電子の「グライドポイント」(←実は各社のノートパソコンに搭載されているトラックパッドはアルプス電子がOEMで生産しているものが多い)を買ってきてパソボラの方が使っているものも多いのであります.どうしても私なんかだとトラックパッドがついてても,基本的にはマウスをくっつけて使用しているタイプの人間なんでトラックパッド単体での販売量がほとんどゼロという状況を作り出しているのであります.

かく言う「トラックボール」の方もUDの観点から見ると実は危機に瀕しているという判断をせざるを得ないという悲しい事実がある.ちょっとと前のトラックボールというとそれこそ四角形の箱にボールが乗っているだけという非常にシンプルなものであったのでありますが,実はそのシンプルさが良かったんですね.例えばクリック信号をスイッチに代替させるための改造は容易であったし,応用がいろいろ利きましたから.しかし,現在のトラックボールは良くも悪くも「人間工学」に基づきすぎている(ってのもなんか変ですが)ものが多すぎて,これまで障害を持たれていた方が使用できていたものを入手することが困難になっているのであります.ケンジントンさん,ロジテックさんそしてマイクロソフトさん.このような危機的状態をなんとか救済して下さい,お願いします.

さて,このようにいろいろなところでUD,UDと言われておるのでございますが,私自身もちろんUDの必要性は認めております.出来るだけ多くの人に使ってもらえるように….その発想は比較するのもアレなんですが私のホームページの趣旨とよく似ておりますので.しか~し,実際に私がたった1年ですが営業した経験の中で「いわゆる」UDが適用できるケースって稀なのであります.このあたりよく一般企業が勘違いしてやらかすミスの一つなのでありますが,
「おいらの会社のおもちゃは目や耳の不自由な子どもでも遊ぶことができるんだぜ.どーだいUDさ」
とか,
「うちんくの会社はのぉ,どこでもエスカレーター,エレベーター完備のバリアフリー設計なんじゃ,どいや,僕よ,UDやろがい,のー,どいや!」
とかいった屋島の合戦の那須与一みたいにうまげに的を射ぬいたように見せかけて,実は的にひとっちゃ届いとらへんケースがおおかったりするんやがい,のー僕よ.まー的を狙おうとしとるだけなんちゃしょらへんじょんならん会社よりはまっしゃけどな.
(註:ちょっとやりすぎました.この讃岐弁一応訳しときます.
「私のところの会社にはどこでもエスカレーター,エレベーター完備のバリアフリー設計なのですよ,どうですか,UDでしょう!ねー!!」
などといったまるで屋島の合戦の那須与一みたいに上手に的を射抜いたように見せかけて,実際のところ的になんか届いてもいないケースがおおかったりするんですね.ね.まー,的を狙うことすら何にもしないどうしようもない会社よりはマシですけれどもね.)

前者のおもちゃ遊びの場合は「肢体不自由の子どもが遊べんでなにがUDじゃい!」と突っ込まれてしまっても仕方が無いし,後者の讃岐弁の例だと電動車いすの人が一人で来たら々対応するのかなというのが結構考えさせられたりします.

今回のコラムはひたすら脱線が続くのですが,実は学生のとき福祉工学概論(だったかな)のレポートが「電動車いすの人が一人で使えるエレベーターとはどんなものか」みたいなお題でして徳島市内のエレベーター管理会社に小バカにされながら取材して回ったのですが,あるとき私はひらめいたのでした.当時は環境制御装置(ECS)なんてしらなかったのに…
私:「あのぉ,つかぬ事おうかがいしますけどこんなんどーですかね.テレビのリモコンみたいに赤外線のリモコンを各エレベーター会社共通の信号でエレベーター操作できるようにしとったら電動乗ってる人でもいけるんじゃないんですかねぇ?」
某社担当者:「なに言うとんですか.そんな金あるわけないやないですか.やってるところがあれば教えてくださいよ.大体電動車いすでエレベーターに一人で乗りに来るのが間違っとんですよ.」
私:「…」
当時何も知らなかった私は何も言わずそんなもんかなぁ,と悩みつつレポートを書き提出したのでしたが,つい先日の海外メーカーの集まる展示会で発見しました!ECSで動くエレベーター.赤外線信号で動かせるんじゃん!!あんときのエレベーター会社のあのおっさんに見せてやりたいわ,ホント.ちなみにどうも北欧の方ではそういった規格があるみたいです.

酒飲みながら文章書いてるからあちこちに話が飛んでてごめん.えーと,CAとUDの話でしたね.失敬失敬.本線に話を戻します.先ほど私の短い営業経験の中でUDが適用できたケースは稀,と書きましたが,これには訳があるのね.実際,いくらUDで多くの人に使ってもらえる商品を製作したとしても,どんなに素晴らしい商品でも最低でも1割程度はそのものを使用できない人がいるって思うんですね.ここからはCAだけに話を絞って話しをまとめやすくしますんで….

私の勤めている会社はそれこそ日本で一番パソコンの入力支援やおもちゃ遊びに使うスイッチを擁する商社であり,それを使うためのフィッティング技術も一流の営業マンぞろい(営業マン時代の私は除くけどね)なんですが,やはり7~8割は市販品のママで使用することが可能なのですが,あとの方はセラピスト(OT)の方の作られたスイッチでないと適用できないケースが多かったりします.つまるところやはりUDの思想ってのは「できるだけ多くの人が使える」ことが目的であって実は「すべての人が使える」ことではない,ということなんですね.

で,ようやくここからが本題.パソコンにはUDの一環として(と私が勝手に捉えている),Windowsには「ユーザー補助」機能や「マイクロソフト拡大鏡」機能がOSに付いてきますし,MacOSには「イージーアクセス」機能や「クロースビュー」機能がついてきます.もちろんその機能を使用することによって多くの障害をもたれた方がパソコンを使用できることになったのはいうまでもありません.でも,でもですよ.福祉機器メーカーや大手ソフトハウスの製作している特殊ソフトウェアがなくなることはありませんでした.「いずれ入力支援ソフトウェアはOSに組み込まれることになるだろう」と言う意見も多く聞くのですが,決してそのようなことは無いと思うのです.やはりすべての方に使える機能を入れるってのは「不可能」だと思いますので.それに各OSに付いてくる機能より金を出しても「使える」ソフトウェアを求めるのは人の常じゃないですか(ほら,絵を書く人だったらいくらOSで只で「ペイント」が付いてきても「イラストレーター」買うじゃないですか.あれとおんなじこと).だからこそ私はそういった特殊機能を用いたソフトウェアの作成を行なってみたいなぁと思っているわけ,そう,もちろんいろいろな人に合わせてね.

なんて酒を飲みつつもう一人の自分と真夏の夜の夢の話を繰り広げる熱帯夜の出来事でした.

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