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2000年8月

水の都

水の都と聞いて思い出すのは「ベネチア」であることは言うまでもないことでありますが,「日本国内」で「水の都」と言えば一体どこになるんでしょうか?私はこれまで観音寺(18年間),徳島(6年間),寝屋川(1ヶ月),大東(1年3ヶ月)と住んでまいりましたが,この中で「水の都」というネーミングが似合うのはやはり徳島だと思うのです.

やはり偉大なる「四国三郎」=「吉野川」を土手の上から眺めるときに感じる圧倒感がありますし,吉野川自体,最下流の方まで綺麗であるというのが第一の理由です.あと,最近になって親水公園というかたちで,吉野川の派川である新町川や助任川で気軽に水というものを感じることが出来る,というのもありますかねぇ.特に,新町川のボードウォークなんかうまいこと作ったな,と思うと同時にそこに集う人々が「何かをやろう」と盛り上げてるのがいいなぁと感じる次第.もっとも,私が徳島にいたころラジオにでててそこから「ボードウォークでうどん屋しよう」という企画があがり,雨の中多くの方が集まったという思い出も多分に加味されてますが….

あと,川内町(吉野川の北岸)の吉野川橋(旧橋)と吉野川大橋(新橋)との中間あたりから徳島市の中心部を眺める風景が好きですね.旧橋の美しさとバックに映える眉山,もうこれは絵になります(てか四国放送のCMで使ってるんですが:)).バスに乗り吉野川大橋を渡りながら旧橋や眉山を眺めると,
 「あぁ,徳島に帰って来たんやなぁ」
となんか安心します.

それに比べてどうも大阪の川は川らしくなくって嫌いなんですよ.やっぱり寝屋川にしても汚さは相変わらずだし,三面コンクリートの「川」自体,正直あまり好きになれません.が,最近になって今住んでる寮の近くを散歩してると,「大東」も水の都だったんだなぁという事が分ってきました.

昔の運河が残ってるんですよ,この寮の近く.で,これが結構入り組んでて,運河を辿ってみると,昔はこの家から何かを運んでたんだろうなぁ,というのが判る作りになってる古い家も何軒か残ってるし,昔使ってたらしいの舟が運河に沈没(!)してたり,そういうのを見てると飽きがこないな~,と思うようになりました.

惜しいのは,その運河も水が汚いこと.大東市もがんばってアピールしてるのですが綺麗にするのはなかなか難しいでしょうね.でも,徳島の新町川だって30年くらい前の高度成長期にはすさまじく汚れていたそうです.行政と市民ががんばって今のようなキレイな新町川に生まれ変わったんだそうで.ですから,大東市に住む皆さん,みんなでがんばって川をキレイにして「水の都」と自慢できる街にしたいなぁ,そう思うのでありました.

追記

  • 出張でよく泊まることの多い岐阜の大垣市なんかも別の意味で「水の都」って感じがしてて好きですね.ちうか大垣市もそういってるし,「スイトピア」なんて建物もあるくらいでして… 一度郡上八幡の方にいってみたいなぁ,とTVで見るたび思うのでした.
  • 検索エンジンで「水の都」で検索してみてください.すんごいいろんなところが「水の都」宣言しててなかなか興味深いですよ.

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史上最強のバンド

梅田の街をぶらついていて,ふとした拍子に「む,CDが俺を呼んでいる」と感じ,タワーレコード梅田店にて「The WHO's TOMMY」と「JESUS CHRIST SUPERSTAR」のアルバムを衝動で買ってしまいました.どっちもオリジナルキャスト版ミュージカルのアルバムです.今「TOMMY」を聴いてるんだけど,オリジナルやワイト島のライブでThe Whoが演奏したのとは全く違ったアレンジ(当たり前!),ケン・ラッセルの映画版とも違うアレンジで結構面白く聴いてます.

さて,私はロック大好きなのですが,私が史上最強と考えるバンドが2つありまして,それがThe WhoとLed Zeppelin(以下Zep)なんですな.このコラムではそのあたりのところを掘り下げてみようと思うのであります.
(じつは私,Oさんから頂いたマンガに萩原玲二氏の「軽薄ピエロ」というのがあり,氏も最高のロックバンドはZepとWhoと2期のキング・クリムゾン(「太陽と戦慄」~「Red」の時代ね)といっておられました.氏によると「ロックは常に不完全でなければならない」ということで,この3バンドを例に出されたようです.なるほどなぁ,と思ったわけです,以上,ご参考まで)

で,何故「最高」でなく「最強」にしたかということですが,「最高ですか~!」おじさんが嫌いだからというのではなく(嫌いなんだけどさ),単に響きが良いかなぁ,なんてからなんですな.Whoには「最狂のドラマー」がいたからなんてのも実は意識してたりして.

一応知らない方のために両バンドのメンバー構成を書いておくと,Led Zeppelinの方はリーダーでギター(あとテルミン(笑))担当のジミー・ペイジ,魅力の高音,セックスシンボル,ヴォーカルのロバート・プラント,音のでかい,そしてソロでは素手(!)でドラムを叩くジョン・ボーナム(ボンゾ),超一流のセッションプレイヤー,ベースとキーボード担当のジョン・ポール・ジョーンズ(ジョンジー),以上の四名がメンバーでして,ヤードバーズちうバンドを元に発展してで出来あがったのがZepなんですな.

一方のWhoの方はリーダーでカッティングの名手,ギターのピート・タウンゼント,マイクをぶん回すマッチョマン(何故か後期になればなるほどマッチョなんだよなぁ…),ヴォーカルのロジャー・ダルトリー,車のまんまプールに飛びこむ(!),次にどんなフレーズを叩くか見当もつかない最狂のドラマー,キース・ムーン,他のメンバーが舞台をぶっ壊すなか独り淡々と演奏を続けるベース担当(あとホルン),ジョン・エントウィッスル,以上の四人がモッズ文化華やかかりし’60年代中盤見出されたのがWhoです.

このあたり細かく書きすぎると知ってる方からはクレームきそうだし,書き出したらキリが無くなって話が進まんようになるし,大体書くのが面倒なので:)興味を持った方は本屋さんで調べてみようね.

次は私の考える両バンドの傾向と対策を…

まず,Zepに関してはそれまで無かった超高音シャウトのヴォーカルスタイルと,ジミー・ペイジのアレンジされた(悪く言えば凡庸ってことになるんだけど計算されてる)ギターフレーズ,普段は地味なんだけどときにギター襲い掛かるベース,せっかくそこまで作り上げたものをも破壊しようともするドラムといったところでしょうか?でもドラムやってるものの端くれとして言わせて頂くと,ボンゾのドラムってものすごいテクニカルなのよね,音がでかいのは細工してたからということのあるし,ジャズっぽいドラムも叩けるってことは実はボンゾって世間一般に言われてるような無茶なドラマーじゃなくって,間違ったイメージで見られてるドラマーかな,とは思いますな.

前出の萩原氏がおっしゃるにはZepの最高のアルバムは「Presence」ということらしいんだけど,私はちょっとそれは違うんじゃない?と思ってます.っていうのはあのアルバムって確かに短時間で作り上げた密度の濃いアルバムだとは思うんですが,考えてみるとこのレコーディングされた時期のロバートは怪我をおしてのレコーディングだったはずで,今一つ演奏の迫力はあるのにヴォーカルがうまく絡んでいってないというかそこだけ迫力がないというか,どうもしっくりいってないような気がするんです.ただ,“Achilles Last Stand”っていう名曲と最後の“Tea for One”の出来がいいからまとまってるかなと.
(実際Liveの“Achilles…”を聴くと迫力はあるからやっぱり「Presence」はZep自身も納得できてるかどうか,かなり怪しいと思うのですが,いかがなもんでしょ?)

じゃ,私にとってベストだと思うZepのアルバムは何なの?と聞かれたら迷わず「House of the Holly」って答えますね.「I」~「IV(Four Symbols)」までの間にジミー・ペイジが培ってきた音楽のなかに,ジョンジーの考えも反映されてきてそれが一番濃くでてるのがこのアルバムだったと思うのがその理由.へヴィーロックとトラッドだけのバンドではないことを証明したアルバムだし,それをいっちゃうと「Presence」はへヴィーロックのアルバムってことになっちゃうじゃない.あそこまでブルーズをロックに昇華させたのはさすがだとは思うケド….じゃ,「Presence」のあとに出たアルバム「In Through the Out Door」はどうなの?ってことになるんだけど,これアルバム自体の出来はあんまりよくないしジミーじゃなくってジョンジーが前面に出過ぎてる感じがするしね.

で,このあとアル中でボンゾが逝っちゃうわけですが,そこでZepの歴史(まぁその後何度か再結成してるにせよ)は終わっちゃってると思う.ただ,その後ZepのメンバーとYes(イギリスのプログレバンド)がセッションを行なったという事実と,「In Through…」でジョンジー主導のZepを考えてみると,もしZep+Yesという形でバンドが存続していたら,80年代は全く違った音楽地図になっていたんじゃなかろうか,なんて考えてみるのもまた一興ですね.

一方のWhoですが,こちらはピートのリズム感のある高速カッティングのギターを中心にギターのようにリードベースとも言うべきジョンのベース,壊れそうで壊れない暴走ドラムが乗っかっていて(つまり通常のバンドにおける「ギター」と「ベース」「ドラム」の役割がひっくり返っちゃってるのね),ロジャーのヴォーカルが乗っかっているってところでしょうか?ただ,Whoの場合全員ヴォーカルをとれちゃうので荒れた音楽のなかにでも奇妙なハーモニーがあるというのが特徴でしょう.

で,最高のアルバムは以前別のコラムにも書いたけど「Who's Next」と答えます.だって捨曲がないし,あのシンセサイザーの導入は当時としては革新的でしょ.変な音の出るリード楽器として使っていたプログレバンドとは明らかに一線を画してますからねぇ.実際1980年代のアイドル歌謡とかをよく聴いてるとあのようなシンセの使い方してるケースって結構ありますから.もちろん「Tommy」「Quadrophenia」も素晴らしいんだけど悪く言えばピートのマスターベーション的じゃないですか.あくまでWhoというバンドで考えると「Who's Next」でしょう,やっぱり.

ただ,最高の曲は何かということになるとまた違っていてこれだと初期のころの曲,とくに“My Generation”ってことになってしまうのかなぁ,やっぱり.「Tommy」以前の曲も勿論テーマ性を持った曲は多いけど,気軽な感じで聴けるじゃないですか(もっともライブじゃ機材壊しまくりだっただろうけども).パンク旋風吹き荒れる中WhoとKinksだけはパンクスの連中から一目置かれていたっていうのも“My Generation”みたいな曲があったからな訳で,初期のころのWhoもまた違った趣があってよろしいですな.

このようなバンドの性質上ドラマーの存在が重要になるのは言うまでもないのですが,キースは「Who are You」というアルバムを最後にオーヴァードラッグで亡くなるわけです.ま,もっともこのキースの参加した最後のアルバムではドラムを叩くことが出来なかった曲(“Music Must Change”だったかな)もあったことからもこういったことは予想できることだったらしいです,実際.キース亡きあとドラムにケニー・ジョーンズ,キーボードにラビットを向かえて活動を続けるんだけど,キースの占めてた割合があまりに大きく(つまりは極端な奏法=異常に手数が多かったり,奇妙なところでスネアたたいたり,私は変態奏法と呼んでます,真似できません…),曲の魅力半減になっちゃって結局解散してしまうんですね.ラストコンサートのビデオを見たことあるんだけど,まーしゃーないかなぁと思ったもんなぁ(ケニーもラビットも名うてのミュージシャンなんだけどね).

このような両バンド実はお互いかなり意識していたようで,Whoのアルバムにセッションプレイヤー時代のペイジやジョンジーが参加していたとか,Led Zeppelinの名付け親は実はキースの言った冗談からとったとか,ピートは実はZepのことが大嫌いだとか,まぁネタには事欠かん連中ですわ.この両バンド違った音楽性を持ってるんだけど,ライブに関しては結構似たようなことやっててメドレー形式を好んで使ってたというのが特徴の一つかな.あと,ツアー中はホント無茶ばっかしてたようでホテルの部屋はぶっ壊すわ,Zepなんか日本ツアーのとき新幹線で大喧嘩したとか,そういうバカなことも共通点でしょうか?

最後に,WhoはこれまでWhoとして一度も来日してないんですが,もしかしたらまたまた再結成して今度は日本に来るんじゃねーの,ってウワサを街角で耳にしたんですが,マジすか!?もしそれだったら会社休んででも(だからこういった言動は慎めちゅうとんのに),観に行こうかなぁ.大好きなキースはいませんが….日本ではZepはDeep Purpleあたりと比較されたりすることが多いんですが,Purpleからロックの道に誘われた私でもいつしかZepに辿り着いたんですね.Purpleはハードロックとクラシックのみ(ってことはないんだろうけど)って感じに対して,Zepの方はもっと幅広い視点を持ってる気がするんですがいかがなもんでしょ?決してバカにしてるんじゃなくって,Purpleと比較すべき対象はBlack SabbathとかUriah Heepあたりと比較した方が面白いとおもうのですが.あと,Whoについて頼むから日本に来て,あなた達日本に来てないからあまり知られて無いだけなのよ.実際,BeatlesやStonesには僅かにかなわないか同程度のクラスな訳で,そういったことを見せ付けるためにも一度日本へ来てくれ~~~っ!!

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あるパスティーシュ作家の作品とその演劇性に関する考察

タイトルだけは仰々しいですね.今日は私の好きな作家の清水義範さんのことをネタにします.清水さんの本を読むきっかっけは例の「木沢村行軍事件」のもやしさんの紹介からなんですね.清水さんは「パスティーシュ作家」の異名を持つとおり,様々なネタをパスティーシュするところが持ち味です.ちなみにもやしさん,私に「秘湯中の秘湯」という短編集の「ジャポン大衆シャンソン史」という小説が面白いと紹介してくれたのですが,もやしさんはこれが本当にフランス人向けの日本大衆歌謡を紹介する文章をさらに日本語に訳した文章と思っていたようで,この辺り清水さんのパスティーシュ作家としての実力が垣間見えるというところでしょうか.例えば「永遠のジャック&ベティ」という短編は中学の英語の教科書に出てきたジャックとベティが30数年ぶりに再会し,喫茶店で話をするのですが,どうしても教科書を訳したようなしゃべりしかできない,なんていうパスティーシュになっておりまして大学の研究室の連中がもろ気に入って笑い転げていたのを覚えています.

当然なんでもパスティーシュにするもんだから結構芝居にしたら面白いんちゃいます,っていう作品がかなりあるんですね.例えば「バールのようなもの」という短編集にある「役者語り」という作品なんかは,劇団「徳島」でも大女優さまが演じた「化粧」という一人芝居がベースになっていると思われるのですが,そこにシェークスピア劇を演じる役者が歌舞伎役者のように世襲制だったりしたら,なんていうかなり込み入った話になっておりまして,これってト書きさえあれば一人芝居として成立しちゃうんではないかという作品だったりします.

あと私が劇団「徳島」の自己紹介でやってみたい芝居の中に,「ひとりで宇宙に」(短編集「グローイングダウン」に収録)というSF短編も冥王星調査に行った宇宙飛行士の数奇な運命を描いた作品なんですが,これいつか一人芝居で突然披露しようかなどと企んでいる小説だったりします(テーマソングはベタにYapoosの「宇宙士官候補生」でお願いします).だってこの話,最後のオチまでの持って行き方次第ではかなり面白いとおもうよ.

そしてあと私が芝居にしたら面白そうだなぁと思う短編をいくつか挙げると,作者自身の若い頃の経験がモチーフになっている,ファッション情報会社に勤める若者と彼の下宿に来た不思議なおばあさんを描いた「また会う日まで」(短編集「グローイングダウン」に収録),これなんか二人芝居にしたら面白くなるのでは.事故で息子が入院している体育教師とその担当医を描いた「復讐病棟」(短編集「アキレスと亀」に収録)なんかはうまくまとめれば二人芝居による心理劇になるかと.劇団「徳島」的立場で書かせて頂くと,訪ねてきた客にその人の思い出にちなんだ食事を出してくれる食堂を描いた「時代食堂の特別料理」(短編集「国語入試問題必勝法」に収録)は重厚なる新劇風の舞台作りでいけば,かなりの感動を誘う作品に仕上がるのではないかなと思います.もちろん単純に面白い短編(ショートショートに近いかな)がたくさんありますので「清水義範の世界」風にスケッチ集をやってもいいと思うのですが,いかがでしょうか?

実際清水さんの小説は舞台化されてるものもあります.「バールのようなもの」は立川志の輔により落語として上演されています.また以前展示会の仕事で清水さんの地元・愛知にいったとき,来賓でいらっしゃってた方の中に役者の方がたようで,その方が「やっとかめ探偵団」(清水さんの人気シリーズと同名)という芝居を終わって急いで駆けつけました,みたいなことをおっしゃってたもんでこのようなことを考えてみました.

最後に,こうして書くと清水さんはパスティーシュだけなのかというとそれだけではありません.直木賞候補になった「虚構市立不条理中学校」なんか教育学部を出た清水さんの,現在の教育に対する回答の一つだろうと思います.あと私,大好きな長編がありまして「スシとニンジャ」という作品なのですが,だれかこれ映画化して頂けません?忍者や武士に憧れて日本にやってきた外国人と日本人のふれあいを描いた佳作なんですけどねぇ.ほかの長編ものも映画にしたらGOODかなぁと思うものも多いなぁなんて考えてみたりして.

清水さん,このページを見ることはあるんでしょうか?もし見ていただけたらメール下さいね~.

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剣山スーパー林道木沢村行軍記

1.悲劇への序章

8月9日私は6年間の学生生活を送った徳島へと旅立った.といってもここは大阪.梅田から発車する高速バスを使えば2時間半で徳島である.あっという間に見慣れた徳島駅前へと着いた.駅前は阿波踊り前ということもあり,踊りの練習の音が聞こえたり何やら華やいだ雰囲気であった.私はもやし氏(本名:YY氏,下の名前は私と同じ)との待ち合わせ場所へと歩を進めた.フィリップ・モリスの煙草を1本吸ってるうちに彼は現れた.彼の車に乗り込んだ私は何をしようかと考えた.学生時代私達二人はともに車で意味もなく通常は人の通らない国道なんかをドライブすることが多かった.その日も軽い気持ちで「どっか山にでも行きましょうか」という私の一言で,ドライブを行なうこととなった.

まずは阿波踊り用につくられた桟敷席を抜けた.
「とりあえず飯でも食いますか.」
と私は言ったのだが,もやし氏はすでに晩御飯を済ませたとのこと.仕方が無いので私は某ソンへよりやきそばとペットボトルのウーロン茶を買い,そこで軽い食事をとった.後から思うとこのときに食事をとっていたことが幸いするのであるのだが,そんなことはそのときの私に知る由も無かった.

私達は佐那河内-神山ルートへと向かった.普通なら国道439号に沿って進路を取るところであるが(これも普通では無いのだが…),その日もやし氏は妙なことを言ったのである.神山より進路を国道193号にスイッチし木沢村より剣山スーパー林道を走ろうと言ったのである.私はもちろんそれに同意したのだが今にして思えばそれが悲劇の始まりであった.

2.恐怖のオフロード

もやし氏は以前にも剣山スーパー林道を走ったらしい.そのときは今回行く林道より手前,つまり徳島寄りの方を走ったとのことである.どうやらもやし氏は今回その先を走り,完走を果たしたかったのだそうだ.

やがて国道193号の交差点が現れ私達は左折を行ない,林道のある木沢村の方向にスイッチした.このあたりは国道と言っても山間部であり,対向車が来るとすれ違うのにも困難する狭い道なのである.やがて私達は不気味なトンネルを抜け木沢村へと入っていった.そこからスーパー林道へは約1分.車は右折し剣山スーパー林道に入った.

序盤は好調であった.スーパー林道とはいえ,国道との分岐付近は舗装されている個所もあり,楽しいドライブであった.オフロードになってもまだ最初のうちは若干の振動を感じる程度であり,問題なく車を進めることが出来た.

時間は夜の11時,こんな時間にスーパー林道を走る物好きはあまりいない.昼間だったら雄大な山並みを観ることができるのであるが,夜間は対向車とすれ違うことはなく,会うのは鹿,うさぎ,狸といった動物達であった.
「次何が現れると思います?」
「鹿ちゃうん?」
「じゃ,私うさぎに賭けますわ.」
こんな馬鹿な話で盛り上がりつつドライブを続ける.ちなみにその直後現れたのはうさぎだったことを書き記しておく.

ドライブを続けていくうちにどんどん路面が粗くなっていった.落石が多く速度を上げるのは危険と感じ控えめなスピードで車を進める.あるカーブを抜けたとき私はヤバイと感じた.もやし氏もそう感じたようであった.大きな落石らしきものが道路の真中にあったのである.もやし氏はそれを木であると判断したようであった.その為そこに突っ込んでいった.

「ゴン,ガリガリガリガリ…」
そんな音がした.これはヤバイと思い,すぐさま私達は車を降り,車の状況を確認する.ボディ,タイヤ,バンパーなどに問題は無かった.なんかオイルくさいにおいがしたが,多分気のせいだと信じ,わたし達はさらにスーパー林道を進んでいくのであった.

3.S.O.S!!

車には何の問題もないようであった.別にガソリンも漏れていないようだし大丈夫だと思った.が,やがて私は車の挙動がおかしいことに気づいた.下り坂が長く続いた部分で全くエンジンブレーキが効いていないのである.
「もやしさん,今ニュートラルですか」
「いや2速に落としとるよ」
「じゃなんでエンジンブレーキが効かないんでしょう?」
「え?!」

車を谷の底に止める,いや止まってしまったというのが正しいかもしれない.
「ためしにバックに入れてみてください.」
…動かない.
「今度は4速に入れてみて…」
………やっぱり動かない….
この症状は明らかにオートマのオイルがなくなっている状況としか思えなかった.レースだと「ATF故障によりリタイア」といったところだろう.なんとか車を押し,他の車が通れるだけのスペースを作り(もっとも夜間にそんな奴はいないと思ったのだが),策を講じた.

もやしさんはJAFの会員証を見せてくれた.
「#8139(はいサンキュー)でJAF呼べるで」
でもここは「圏外」.当たり前だ,1300メートルの山の中で携帯は無力であった.なんとか500メートルほど歩いて場所を変えつつチェックをいれるのだが,やっぱり「圏外」….

「SOS信号でも発してみますか」
私は提案した.ライトをパッシングし
「ツーツーツー,トントントントントントン,ツーツーツー」
もう一度.なにも起こらない.
「今度はクラクションで!」
もやし氏が言う.
「ブーブーブー,ブブブブブブ,ブーブーブー」
文字にすると情けないが私達は必死であった.3回ほど続けた.だが何も起こらなかったのである.

夜間(もう12時)懐中電灯もなくスーパー林道を歩くのは危険,ましてやとなりの木頭村では熊なんかも生息しているのである!!
「もうここで寝ましょう.」
「そ,そやな…」
私は睡眠導入剤を飲んでいたのですぐ寝たので,それから後もやし氏のとった行動は分らない.

4.第2の悲劇

翌朝,薄暗くなってきたところで目が覚めた.もやし氏は寝れなかったそうである.オイルがもれていることを改めて確認するもやし氏.いつまでもここにいても仕方ないので山を降りることにした.

お互い何を持っているかを確認する.エネルギーになりそうなもの…,もやし氏のストロベリーガムのみ!!私は昨日買っておいたウーロン茶の空きペットボトルがあったので,谷(「にくぶち谷」というらしい)に下り水を汲んでおくことにした.そこで第2の悲劇が起こったのである!

「ちゃぽん」
うん,何か落としたぞ,うわ~あれ会社の携帯じゃー!!胸のポケットに入れとったんやったー!!…一瞬ピカッと光り,急流に流されていく携帯電話を私は呆然を眺めることしか出来ないのであった.とはいいつつ水を汲み,谷を上がりもやし氏に私は笑顔を浮かべていったのである.
「会社の携帯,落としちゃいました.」
通常,笑顔を浮かべて言う台詞ではない.頭の回路がショートして笑顔しかできなかったのである.もやし氏は気遣ってくれたがもうどうしようもない,あのP501iはもうにくぶち谷の急流の中,大自然の前に私達は無力だった….あぁ愛しのiModeP501i,今君は何をしているの,どこにいるんだい,P501i~!!

5.行軍

そこから先はひたすら歩くしかないのである.とりあえず民家のあるところまで,もしくは携帯の電波が入るまで.にくぶち谷にあった小さい看板によると国道193号まで約20キロらしい.民家まではそれ以上の距離があるに違いない.私達は午前5時,覚悟を決めて歩き始めたのである.

最初は雄大な景色を眺めながら歩くことができた.いい空気を吸ってるなぁ,何てことも考えつつ歩いたのである.
と・こ・ろ・が
ずーっと,ずーーーっと,景色が雄大なだけなのである.歩いても歩いても「あーいい景色だね~」なんて言える筈も無く,私達は無口になっていくのであった.

1時間ほど歩いた頃,昨日の悲劇の現場らしきところに辿り着いた.石は粉砕されていてATFのオイルがぶちまけられていた.よくそんな状態で5キロ近く車が走ったものである.Woo,Makes Me Wonderである.そのときに気づいていればもう少し歩く距離も少なくて済んだのに,と思ったがもう終わったことである.すぐに私達はまた歩き始めるのであった.

6時半頃,下からラジオ体操の音が聞こえてきた.実は結構目的地は近いのかなぁ.そうだったらいいなぁ.と考えたが,遥か真下から聞こえてくる,それも小さな音で.その期待はあっさり否定されたのであった.

午前7時頃,やっと下に下りていく林道の分岐についた.ここから8キロ下にやっと国道があるのである.しかも下りばかり,足に来る負荷は凄まじかった.もやし氏のガムを噛み,水を分け合い歩きつづけた.私はあのとき某ソンでやきそばを食べていて良かったと思った.はっきり言って腹は空いていなかったのである.もしかしたら虫の知らせ(意味が違うが)だったのかもしれない.そう思った.

午前9時頃,長~い下りを終えやっと県道に出た.もやし氏によるとこのあたりに四季美谷温泉があるらしい.看板には後6キロとかいてある.ようやく目的地が決まった.あと6キロでこの苦労は報われるのである.途中民家が何件かあったがもう私達は四季美谷温泉を目指していた.電話があるかとも思ったのだが,あまりカタギ(?)の方に迷惑はかけれないと思ったからである.なんとな~く平らなうねうねした道路を歩きつづけるのであった.

いつになったら着くのかなぁ.もうしんどさの限界がやっていたとき,やっとその四季美谷温泉に着いた.時計を見ると午前11時,気温も上がりよくこれで脱水症状にならなかったものだと思った.約6時間の行軍はこうして幕をおろしたのであった.

6.四季美谷温泉にて

喉も乾いていたし自販機で買ってスポーツドリンクを飲んだ.そして中に入りカレーを注文した.おばちゃんは不思議そうにこっちを見ていたので理由を説明した.多分こいつらアホや,そう思ったに違いない.でもそれは正しい.アホなことをやって起こるべくして起こった結果がこれである.カレーを注文して食う.食欲はなかったのだがこのときだけは食わずにはいられなかった.もやし氏はJAFを呼びに,私は会社に電話を入れる.もちろん怒られた.でも死にたなかったんやもん,仕方のないことである.それにもう終わったことである.

私は先にバスで帰る事にした.おばちゃんに聞くと2時にここに来ると言ってくれた.もやし氏はJAFを待っていた.
「どっちが早く来ますかねぇ.」
「バスちゃう?」
そんな話をしているうちにJAFが来た.もやし氏は今歩いて降りた道を再び車で上がって行くのだった.その5分後バスが来た.誰も乗っていない村営のバスである.クーラーの効いた車内でくつろぐ.やっとここまで来てもう一度景色を眺めてみた.今度は素直に綺麗だと思うことが出来た.

7.その後…

バスを乗り継ぐこと2回,2つ目のバス以降のことは覚えていなかったが,午後5時過ぎ私はまた徳島駅前に帰ってくることができたのである.なんか楽しいんやら,苦しいんやら… 相変わらずバカやってた学生時代からな~んも進歩してないんだなぁ,そんなことを考えつつホテルに入った.部屋に入ったとたんに眠ってしまった.

午後7時半ごろ,ようやくもやし氏から電話があった.「帰ってきました」その声にパワーは無かった.聞くに結構レッカー移動で金がかかったらしい.かわいそうだと思ったが仕方ない,これもやっぱり終わったことである.

翌朝もやし氏宅に荷物を取りに行った.お互いひどい筋肉痛だった.階段を上るのも降りるのも辛い,そんな状態だった.もうこんな行軍はやめにしようと思った.
とは思うのだが絶対またこの2人で何かやるんだろうなぁ,きっと.

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許されざるものの歌

許せない 許せない みんな許せない

休み時間に黒板を引っかく奴 牛乳飲んでるときに笑わせる奴
いじめる奴といじめられる奴 それを先生にチクる俺

そっちが招いたクセに 俺を引っかいて逃げた猫
たったそれだけのことなのに 哀しくなる俺

許せない 許せない みんな許せない

クソ熱いのに効かないクーラー 言うことを聞かないパソコン
夜中の3時にマージャンをする隣の奴 夜中の3時にギターをかき鳴らす俺

夜の10時を過ぎてるのに混んでる電車 しゃかしゃかウルサイヘッドフォン
でかい声で携帯しゃべる馬鹿女 ばあちゃん立ってるのに座ってる俺

許せない 許せない みんな許せない

社長専務部長 次長課長係長
そしてヒラの俺 指示されるがままに動く俺

上司に噛み付く奴 上司にゴマをする奴
言ってることがみんなバラバラ それでも愛想を振り撒いてる俺

許せない 許せない みんな許せない

教祖カリスマまがいもん そんなものにすがる奴
無神論者だとほざいておいて 親類の法事にはちゃんと出る俺

神様仏様教祖様 あなた達が本当にいたとして
何故世の中に不幸な人が こんなに沢山いるのですか
その人たちを救うこと それがあなた達の仕事ではないのですか
それができない神様 あなたが一番許せない

許せない 許せない みんな許せない

散々これだけ愚痴を並べておいて 歌にするだけの俺
何もやらない俺 それを聴いてる奴

許せない 許せない みんな許せない

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電車とピンクの髪の男と老婆の話

昨日は最悪だった.一日中「何で生きてるんだろう?」という思いで体中が一杯になり,涙が止まらなくなった.死にたくなった.「明日になれば何とかなるかな?」そんなあてのないことだけを頼りに,酒を飲んで無理やり床についた.

いつの間か朝になっていた.時計を見れば朝の9時だった.昨日があんなんだったし病院に行こうか,それとも映画でも観に行って気分を変えようか,このまま寝てしまおうか,いろいろ考えたがとりあえず住道駅へと向かうことにした.

見慣れた駅に着いて,改札を通りホームへ向かう.ホームで電車を待っていると会社のIさんと会う.自分の立場を考えると気まずいもんだが,Iさんとは親しいし素直に話しが出来た.ピンクに染まった髪を見て驚いていた.Iさんはこれから横浜に向かうという.なんとなく会社のことが気になりはじめ,これ以上一緒に話すのは良くないなぁと思い,また,病院に行くには普通電車を使わなくてはならなかったので,快速に乗るIさんとはホームで別れた.

ラッシュアワーを過ぎた普通電車の中は人が少なくまばらに座っていた.快速の方はいつも混んでいるので,時間に余裕のあるときは普通を使うのが好きである.流れていく景色を眺めながら2駅ほど過ぎたところで,向かいに座っていた老婆がこっちの方にやってきた.

「ここは京橋ですか?」
老婆はそう聞いてきたので「いえ,さっきのは徳庵ですからまだ先ですよ」そう答えた.不思議なもんである.なにもこんなピンクの髪の男に尋ねるもんかねぇ,困っている人を助けるのは苦にならない方なので,老婆と話を続けた.

聞けば老婆は93歳になったという.そのわりにはえらい元気な人でだ.話は向こうのペースに巻き込まれ「京橋が来たら言うてな」,そう言われてしまった.病院へ行こうという考えはそこで吹っ飛んだ.病院に行くには京橋の1つ手前の鴫野で下りなければならないからである.

折角だからこのまま北新地まで行って映画でも観よう,そう腹に据えて老婆と話を続けた.ピンクの髪のことも聞いてきた.老婆はこれが私の髪ではなく,帽子だと思ったようだ.いくら訂正しようとしても聞いてもらえず,それがなんだか滑稽で私も老婆も笑い続けた.

やがて電車は京橋に着き,老婆は降りていった.ただなんでもないそんなことで何故か涙が出てきてしまう.今がうつの状態だからかもしれないが不思議なもんだ.でもいつもとは違う.意味のあるのかないのか分からない悲しさや寂しさで涙が出てきたのではない.こんなピンクの髪の男に話に来てくれた老婆.どうしようもない奴なのに話をしてくれた,なんかそのことに感動してしまった涙,だったのかもしれない….人に涙を出していることを見せないように帽子を深くかぶり,やがて改札を出て行く老婆を眼で追っていた.なにかいつもとは違う,すがすがしい涙だった.

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